Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

力と技の風車が回る

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力と技一方は春休み、もう一方は卒業済みニート。

こちらが仕事の原稿を書いている横で、一晩中異世界のドラゴンと戦ってます。霰は力技で攻め、霙がいろいろと大技小技とアイテムを駆使していますが、緩みきってやがるなー・・・

 

こいつら用の勉強部屋はあるのですが、こいつら小さいときからそこに籠ることはなくて、始終茶の間で勉強やらゲームやら団欒を続けてきたのはちょっと感心です。

それをいいことに、過ごしていたかもしれない反抗期には全く気付かなかったかもしれない親の方も、案外のんきだったんだわな。いや、僕の感じる限り、こいつら反抗期はなかったというか、親と口をきかないとか寄り付かないということはなかったんだよね。

そして巨大化。

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蓋が割れるっ!

蓋が割れるっ!

9ヶ月過ぎたチビにゃずですが、でん助5.9kg!
・・・お前どこまで育つつもりだ?!

新月サンは「待望のデカねこ♪」と喜んでますが
デカいのとデブいのは似てるけど違うぞー・・・

そしてちぃ婆にゃのコンパクトさが際立つ。

ホントに軽い。

ホントに軽い。

On Your Mark

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スパートバッケンレコードまであと10000キロです。

さて「その日」はいつになるか。

ぴたりと言い当ててくれた人には粗品の一つも進呈いたします。

上棟式。

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雨じゃなくて良かった。

雨じゃなくて良かった。

実家の上棟式を見に行ってきました。
なかなか機会ないもんね。(我が家も建売住宅だし)

昔は上棟式って言ったら、ご近所さんとか親戚が集まってごった返したものですが、今は違うのねー。
柱や梁がプレカットされた後に運ばれてくるので、現場では順番通りに組み上げるだけ。昔は人手で立ち上げてた柱も、クレーンでひょいっ。
あっさりと上棟の扇が据え付けられましたわ。

前の家より建坪が少し大きくなるらしいです。平屋建てなので延べ床面積は減るんだけどね。

三寒四温の音

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主治医とそのスタッフによる突貫修理で、BLUEらすかるは一週間のドック入りから復帰しました。こいつの修理が明けるということは、三寒四温の警戒をしつつもぼちぼち春が来るかなと予測できる時期でもあります。

で、プロペラシャフトの交換。58万キロまでは耐えられませんでしたが、実は原因はブッシュの劣化による干渉。シャフトそのものはジョイントも含めて破損には至っていません。

各部をばらして組み直ししていると時間がかかるので、えんやこらと引き抜いてシャフトもろとも交換してしまいましたが、ブッシュについてもここまで持ちこたえたのだから相当な耐久性を有していたと思えます。

結果論で言ってしまうと、無頓着に乗っていてもあと1万キロのうちに大きなトラブルが起きたかどうかは判断しにくい。起きなかったかもしれません。それでもジョイント部のブッシュがちぎれ跳んだ場合を想像したら、気づいた時点で手を入れたほうが安全でしょう。

それはネタでしょう?と言われたこともありますが、プロペラシャフトのバランサーが剥離して車体に当たる音に気付いたことがあります。もちろんその瞬間バランサーだとまでは考えが及びませんでしたが、車を止めて下回りを見ていったらバランサーが無かったと。

TD61Wあたりになると、初期の初代に比べれば遮音性は向上していて、つまらないレベルの異音というのは割と打ち消されています。三代目などでずいぶん異音の話を聞きましたが、こっちの耳がマヒしているのか初代で慣れてしまったら三代目は何も気にならない話だとも思えました。が、音の性質や発生している箇所に気付けて何が生じているのかをイメージできるかどうかということについては、けっこう重要かつ役に立つ感覚といえるでしょう。

突如、座布団三枚四枚の持ち上がり

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SX4 S-CROSSや新型エスクードはどちらかといえば王道に行ってしまった車種である分、イグニスにはスズキらしい隙間ねらいの極意が秘められています。だから車雑誌の新車企画にも取り上げられるし特集ムックも出てくる。ただこのムックも以前とちがってコストがかけられない想定になったものだなあと購入してみると、一冊のうちのイグニス特集は半分しかない。後半から始まるページ構成は、言ってみれば「最も新しいスズキSUV今昔史」になっていました。

こういうのはスイフトの系譜で固めていくのが定石だろうと思っていたのに、エスクードやジムニー1300(シエラ)やX-90を意外というほど余分に取り上げており、こんなのエスクードの初代がデビューしたとき以来じゃないの?(3代目のときにもちょっとありましたが)と目を丸くするほど、ありそうでなかった路線の開拓者としてほめてくれています。今頃ほめるんだったら、28年間ずーっと高く評価し続けてくれりゃいいのにねえ(笑)

そんなわけで、当時は「見栄張型」などととからかわれながらも悪いことが一つも書かれていない、くすぐったくなるようなエスクードの記事だとか、様々なコーディネートを繰り広げた限定車、特別仕様車の紹介までもが盛り込まれていて、イグニス買う予定はなくてもエスクードがこれほど紙面に出ているのも珍しいから、この一冊はとっておいてもいいですね。

ご親切にどうも。

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翌日は雨だっちゅうの。

翌日は雨だっちゅうの。

先週土曜日のお手伝いの後。
台車を配達しに出かけた新月サンを待っている間、
会社の花壇に水撒いてました。
ホースで出しっぱなし。10~20分経ったら場所変えてっていうのを繰り返して、その間は建物の中で入荷の荷捌きしてました。
そろそろいいかと外に出たら、通りすがりのお兄さんが
「この水道ずっと出っ放しなんですけど・・・大丈夫ですか」と声を掛けてきました。
『あ、水まきしているんです』と答えると
「さっき通って、用事済ませて戻ってきたらまだ出てたので気になりまして」とおっしゃる。

・・・そーね。シャッター閉まって人気のないトコでジャージャー水出てたら忘れたか壊れてるのかと思うよね。
お気遣い有難うございます。

ほんとに知らなかったのさ

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仙台在住になっても鉄道に乗らないから知りませんでしたよ。

いや、ふつう、仙台駅がターミナル駅だと思うじゃないですか。というか、思ってたのだよ。

だから「あおば通駅」なんてほんとに知らなかったわ。ここまで掘ってるなら、広瀬川の向こうまで伸ばしとけばいいのに(しかしそれだと仙石線と呼べなくなる、ここがぎりぎりなのか?)

5年の歳月。

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1年前の光景ですが。

1年前の光景ですが。

中学3年生だった甥っ子1号は卒業式間際でした。
義妹が「卒業式やるかやらないかモメたんだよね確か」と言い(今年下の子が卒業なので思い出したらしい)式次第も省略に次ぐ省略で物凄い短縮されたとか・・・
この辺りは影響ったってそんなもんで済んだけど。

日常が崩壊してしまった人たちは・・・
それどころではなかったのよね。

ラジオで被災地の今を話していましたが。
震災前のレベルまで事業内容が戻った企業と戻らないで倒産の危機に瀕している企業と、二極化しているとか。
と。聞きかじりな知識で語ってもダメなんだよね。
また今年も訪ねてみようと思っています。

刻まれた時刻

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南三陸の時計南三陸町の病院に掲げられている時計の、5年前に刻まれたその日の運命の時刻。もはやあの日を現地で過ごした人でなければ、実感など伴わないほど震災記憶の風化は進んでいます。僕自身、2011年3月、ちょっとタイミングがずれていたら仙台空港の近くで津波にさらわれていたかと思うと、ぞっとする記憶は褪せていないものの、ぼろぼろの1か月を鮮明に思い出せなくなっています。

その日のわずか6日前に仲間たちと仙台や栗原に出かける直前、釜石市で仕事をしていたのも運命的な出来事でした。それから5年、帰還困難区域の時計は止まったままだし、集中復興政策を受けた各被災地も、インフラレベルの工事は目覚ましく進んだけれど、すべての生活再建に及んだかと言えば、疑問を拭い去れません。

何度も視察にやって来る総理大臣や国土交通大臣は、なぜ「復興の進んでいない地域」に足を向けないのか。その映像をニュース化しながら、マスメディアはどうしてそこに突込みを入れないのか。被災地をプロパガンダの材料にされる地元の人々のは、声を荒げなくてよいのか。

いずれにしてもターニングポイントを通過する日。あの津波が幻だったかのように、三陸沿岸の海原は美しく穏やかな風景が広がっています。