Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

エスクードが2台ある変な家

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わるかったなーっ!!!(笑)

親子兄弟で所有じゃなくて一人で持ってるさ。

と思ったけど、一時期3台持ちの人だっていたしねえ。

 

日本エスクード推進協会とか・・・この若さがうらやましいです。

時代は確実に変わっている。

四輪駆動の日

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4×4(フォーバイフォー)とも表現される四輪駆動だから「本日がその日」だということは知っていましたが、そこに勘違いがありました。4×4(フォーバイフォー)の商標登録者は確かフォーバイフォーマガジン社だと思いますが、四輪駆動の日を制定したのはメルセデスベンツ日本法人なのだとか。あらそうだったんですか、なんだか文化的視野が瞬時に営業戦略に切り替えられちゃった気がしてなりませんが別に文句を言う筋合いもないです。

地面に接地するタイヤのすべてに駆動力が伝達される状態であれば、ほぼどんな仕組みでも四輪駆動と呼んで差し支えないわけですが、この仕組みというものが加速度的に進化してきました。最初にエスクードに乗ったとき、僕の持っていたジムニーではできなかったフロントハブの切り替えがオートでできるだけでも便利ツールで、これがそのうちアクチュエータを介して走りながらでもキリン得られるようになり、ハブ抜けもしなくなった。

とはいえ前後ほぼ同じトルク配分によって前が曲がりたくとも後ろが押し出すブレーキング現象だとか、うっかりカウンターを当てたらそっちへすっ飛んでいくとか、四輪が対角線でスタックすると大変とか、直結四駆の弱点丸出しなのは初代の辛くかわいいところで、それを意識して走らせなくてはならず、今のSUVを「あんなの」呼ばわりできません。でもそれらを含めクロカン四駆の端くれだったエスクードは当時軟弱と言われたんだよ、なんかこう不公平ですよね。

お前らの文責なんて有って無いも同然

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かつてのエスクード(初代のこと。言わずもがな1988年誕生)を知っているという人が、馬鹿の一つ覚えのような1989年デビュー説をまだ書いている。2015年に登場した四代目が、エスクードのモデルサイクルで言えば役目を全うするのは驚くべき書き出しをするほどのことではないし、仮にこのままブランドが無くなったとしての跡継ぎにジムニーの5ドアやフロンクスとやらを持ち出すのは子供にだって思いつく話です。なにより文章下手くそ。

引き合いに出すのはジムニーの記事ですが、これ、釣り雑誌が書いたものですよ。なんぼかマシ。

必ず嘘ではない けれど必ず本当でもない

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考えてみればあれほどあちこち故障を起こしてその都度「これはまだ直せる」と抗ってきたBLUEらすかるの各部品の中で、91万キロ無故障でいたこと自体が奇跡のような話です。

そのトルクコンバータがこの冬、寒冷状態で滑り始めました。はじめは「これだけ寒いとATFが劣化していて粘性を無くして逆に凍結に近いことが起きるのか?」などと的外れなことを考えていました。

何故なら数分間の暖気によってこの症状は無くなるからで、その後の日中の通常走行には支障が無かったのです。これについて和邇さんが彼自身の体験を教えてくれた話によると、しばらく前に退役に至ったサイドキック1号の最後のトラブルが同じもので、寒冷期には平坦地での前進発進時にも影響が出たとか。

予防整備の必要性を助言され、ATFの交換を行い、主治医のところで部品が出るかどうかを調べてもらったところ、案の定リビルド品も流通していないし、場所が場所だけに修理も難しいとの答え。つまりいつかは確実に壊れる。それは明日かもしれないし、1年後かもしれない。

88000キロを残してこの仕打ちはきつい・・・

 

33年目の330000km

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霙が出勤途中に330000キロを刻み、ぷらすBLUEのオドメータを撮っておいてくれました。11日のことだそうです。

良く見るとトリップカウンターの方も033.1で、なかなかのタイミングをとらえてくれています。

やっぱり俺の目は節穴(泣)

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90年代半ばのエスクードのカタログに掲載されている「How powerful system」なるオフロード系オプションの数々を取りつけたコンバーチブル。

当時は「こんな車体色は国内には無いんだよな。イギリス版でも使ったのかなあ」と、こういうカラーリングが国内仕様にもあったらいいのにねえというくらいにしか思っていませんでした。

しかしあとになってこのコーナーで紹介されているパーツ類をしげしげと見ていたら、全体の中の数点ほど「あれ?」というところに今になって気づくわけです。

なななな・・・何でこんなことが分からなかったんだろう。

以前の節穴ぶりはここに始まっていたようです。

迂闊でしたな同年式

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1988年デビューのスズキエスクードと同年式(作品制作年次)として、「機動警察パトレイバー」を何度か取り上げていたのですが、うっかり書き忘れていたのが1988年2月の「New Story of Aura Battler DUNBINE」に出てくるオーラバトラー・サーバインがあり、「機動戦士ガンダム逆襲のシャア」のνガンダムも同年3月12日封切り映画の主役機でした。ガンダムと言ったら大河原邦男さんですが、νガンダムもサーバインも出渕裕さんデザインで、パトレイバーと共通項がありました。

だからといって1988年出自という年次以外にエスクードとの共通項は無く、東京の20世紀末に活躍した98式AVイングラムと違ってサーバインは異世界、νガンダムは宇宙となっているのでエスクードと並べようもありません。この辺のことは言い出したらきりがないんですが、バトルホッパーとかアクロバッターなんかだったらどうにかすれ違わせることくらいはできるのです。などと脱線しまくりですが本日逆襲のシャア封切りから36年という半端な2024年でした。

 

Team WESTWIN Warriors#191

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世間の声によると「ストーブリーグ」という言葉は死語というか形骸化して使われていないそうですが、使っても使わなくてもどうでもいいんだけれど、この時期のTDA情報は書ききれないうえに書いてはならんことばかりが飛び込んできます。川添哲朗選手の74W(これだってJBじゃなくてTAってところが、初めて見る人が多くて恋の浦では話題の的)についても、先月の練習走行会で試された川添パイロットも、手の内としてここで書けません。

「RAV4に続く二番時計で、俄然闘志を沸かせているようですがこのRAV4、エンジンフードもリアゲートもFRPなんです。ドライバーの技量も素晴らしいし、リジット勢を押さえて独立懸架がトップに来るという構図は考えるものがありますよ」

島雄司監督は、だからこそ三代目エスクード(ショート)にどこまで手を入れるかの算段に余念が無いようです。このクルマの、ダートラステージにおける弱点は、2速と3速のギアがかけ離れていることで、とにかくエンジンを回していかないと走らせにくい。回していくと次に来るのは制動負荷です。このあたりを川添君がどのように攻め込んでいるのかは、現地で観ていただければわかるでしょう。

「ふと気がつくと、グラベルでタイムトライアルをやっているところがほぼ無くなりました。そのせいかTDAがあちこちで注目され始めて、『あそこのブログ読んでます』(えっマジですか?)といった声もかかります。ありがたいことですが体力が老化してきたところへ本業ウエストウイン以外のプロモーションやらなんやらも増えてしまい、青息吐息です」

またまた世間の声によれば、スーパースージーの外部ライター高橋さんなどは「もうジムニー記事の素材なんか無くなってますよ」という話で、島さん曰く「エスクードのページを打ち切るなんてもったいないことしたもんですよ。うちのは競技用でも何でもない、吊るしのテンロクを手に入れていじっているわけですから、実際のレースだけでなくて合間の期間中も話題に事欠かないんですけどねえ」

だそうです。すいません、その唯一ウエストウインの追っかけブログがこんなマイナーなところなもんで。

 

褒められました

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仕事先が山手線管内でどう考えても車で行くような場所じゃなくて、地下鉄利用なんだろうなあとは思いながらも1月の車内通り魔のこととかこのところ都内でも多い地震なんかを考えたら駅へ向かう気にならず、往路は歩いたんですよ。←珍しい

結果、地下鉄3駅分徒歩なんてやらなきゃよかったとぜーぜー言ってた往路でした。復路も歩こうなんて気にはならず、タクシーを拾う軟弱ものなんですよ。

この運転手さんが朗らかな話好きで、そのくせ災害やら事故やらのことを話題にしながらも気に病むいい人。「何か明るい話でも欲しいですねえ」と言われるので、これが明るいかどうかは甚だ怪しいんですが、「停めてもらう場所に僕のクルマが置いてあるんですが、昨年末に90万キロになりました」と答えたらものすごい食いつき。降車の際に「見せていただいてよろしいですか!」の展開に。

「これは御見それしました。いやあめでたいものを見られましたよ」

褒められちゃいました。そりゃ嬉しいですよ。だけど積算走行距離自体はまだこんなもので、試算すると月単位で2500キロ足りないペースなのです。

間に合うのか今期の車検満了までに・・・

 

 

で、さきほど910000キロを刻んできました。

 

 

第2号+第1号

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BAA-02+01というのは、「シン・仮面ライダー」における仮面ライダー第2号のマイナーチェンジ版で、往年の「仮面ライダー」で新1号が纏っていた色彩のマスクや、スーツに2本線の入った姿に、旧2号のグラブやブーツをあしらった姿のコードにあたります。訳すとバッタオーグ(仮面ライダー)第2号+第1号。第1号であった本郷猛の意志を継承した、一文字隼人が戦いに臨む新しい姿として、終幕間際に登場しました。

しかし、それよりもずっと早くそれが行われていたのです。

98式AVイングラムのニコイチ説もありましたが。

技の1号、力の2号(後年、技と力が逆転した説もあります)といえば、和邇さんが運用していた2台のサイドキックも、一部でそう呼ばれていました。1号は10年前に退役して2号のための支援に回っていたもので、このほど最後のパーツを移植し解体となって、まさしく2号+1号という融合と継承がなされました。こちらは終幕間際ではなく、新たなプロローグです。無理やり演出されて和邇さんの方は迷惑かもしれませんが、なにしろドラマチックなリレーなのです。