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  ~懲りない傾向~

ベルコン解体始まる

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ベルトコンベア川と国道をまたいで、陸前高田市の被災地に対岸の山を切り崩して土砂を運んでいたベルトコンベアが、その運搬作業を完了させ、解体工事が始まりました。去年の3月末から行われてきた土砂の運搬は、総量で約500万トンにものぼったそうです。

・・・だめだ、ピンとこないわ。

ダンプカーでこれをやっていたら、8年はかかっただろうというから、とてつもない仕事であったことは確かです。コンベアの大半は年内には姿を消すそうで、陸前高田の風物も見納め。来年には嵩上げした中心地で大型商業施設の建設も始まるとか。

この工事もすごいのだけれど、現場を訪ねてみて気づくのは、運ばれ積み上げられた土砂で見えなくなっていた、湾の防波堤の巨大な構造体がどんどん出来上がっていたことです(嵩上げ事業とは別の復興工事)

「でもね、隣の土産物屋の話だと、ここを見に来る観光客が激減したって。去年は今年に比べたら5倍の売り上げだったというから」

とは、ベルトコンベアの下方に所在する休憩所兼物販飲食施設の出店者のつぶやき。復興が進むということは、外の人々の風化も進むということなのでしょう。

興味津々。

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お、食いつきいいぞ♪

お、食いつきいいぞ♪

今まで広いトコを自由に走り回ってたのに、いきなりの軟禁生活でちょっと可哀想。
だかしかし、ワクチン打ってないふぅがいるので(アレルギー反応をおこすので打てない)出すワケにもいかず。
そこら辺にしまってあったリボンを適当に切って、即席のねこじゃらしをぶら下げたらワクワクして遊んでます。

←散々遊んで疲れたでん助を踏みつけて、じゃれるいち之助の図。
お前、結構遠慮ないねぇ・・・

天高く 馬子ゆるキャラ

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ゆうきまさみさんの漫画家生活は35年めになり、究極超人あ~るだと連載開始から30年めにあたりますから、ざっくり乱暴に言ったら40代以前までの人たちは、連載当時にはこれを読んだことが無いかもしれません。もっとも氏の代表作のひとつですし、漫画だけでなくドラマCDやOVAなどメディアミックス展開し多くの記録を残していますから、うちの娘らのように90年代半ばに生まれていても知っている若年層は多いと思われます。

なんでそれがスピリッツに掲載されるのだ?と思ったら、同誌も35周年だと。

ふーん、というわけでゆうきさんは当分、少年誌には描かないんだなあと時の流れを感じるのですが、前編が「週刊」で後篇を「月刊」に載せるという商魂は、作者側の良心として阻止していただきたかった感があります。

それはそれとして、まるで「美味しんぼ」の単行本表紙みたいな装丁の扉絵は、ある種パロディマンガ家の真骨頂か。とか言おうとしたら、前編はご飯の炊き方・・・いや炊いたご飯の「加工調理」の極め方で、遠大な究極の献立をやらかしているところからして、オリジナルでありながらパロっているのがわかります。

今回、どんな展開にするのか興味を引いていたらば、堂々と「最終話」のちょっとあとくらいで始めちゃうのが「マンガって羨ましいなあ」と時空の自由度を痛感させられる設定。こっちは30年齢くっちゃってますから。

しかし恐ろしい伏線もはらんでいるような気がしてなりません。まあ「あ~るだから」で済ませられる笑かしですけど、30年前の連載の終幕は、一時的にR田中一郎が行方不明になっていまして、今回初めて、彼が何処をさまよっていたのかが明らかにされました。

そこから察するに、行方不明になる際の、成原大要塞崩壊時に、時空を転移してしまう『ピンホール振動』が発生していた節があり、そんなものが成原成行博士のマッドサイエンステクノロジーに掌握されているとしたら、成原家か、そこに嫁いできたキヨエさんの血筋には、外宇宙文明であるアルタ人の、1000年前の地球漂着が関わっているかもしれない。

現に、R田中一郎のモデルとなった成原あきら君に酷似したアルタ文明の帝国近衛師団員ダール氏という存在もありますし、彼らには『人形』というアンドロイド技術が確立されていました。成原博士の「本人でも理論を説明できない」超破天荒な発明も、アルタ文明のテクノロジーを好き勝手にいじった結果とすれば、「おぉ」と膝を打てるような気がします。

何が恐ろしいかって、アルタ文明だとか連邦だとか帝国だとかの「鉄腕バーディー」の世界は、その超空間転移やそれを引き起こすための膨大なエネルギー転換をもたらすピンホールエンジンの実証実験が『人類の手で行われて失敗し、時空の歪みと並行宇宙の出現』によって成立するものらしいからです(バーディーちゃんと読み返さないと説明しにくい)

その実験が行われるのは、人類時間で言うところの2040年。多説ある中で、その際「我々の住む世界は地球ごと消滅している」ということで、ひょっとしたらピンホール技術を確立してしまったのが成原博士で、これがいち練馬の個人研究所から国家レベルの事業に取り上げられてしまう歴史が、これからの四半世紀に起こってしまうと、世の中えらいことになってしまうのです。

いやもう「馬子ゆるキャラ」なんて言ってる場合じゃないよ。てか、今回それがR田中一郎の大技だったんですが、それに言及できずに長文化しちゃったのでぶん投げることとします。

 

美味しい炒飯食べたいなーっと。

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私が作るとパラっと出来ん。

私が作るとパラっと出来ん。

冷凍ご飯が結構溜まってしまったので、炒飯にでも・・・

でもね、私が作ると〝焼き飯〟になってしまうのよ。
(それも刻んだ古漬け入りだったり、鮭フレーク入りだったり)
なので。新月サンにお任せ(笑)
冷蔵庫に残ってた叉焼の塊がこれではけるー。
後はシンプルにネギと卵。

久しぶりに作ってもらったけど、やっぱり私が作ったのより美味しい♪

週末関東人の真実 番外篇

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車両は実物ですがシーンは本編とは異なります

<小湊F2顛末記 プロローグ>

いつもながらのドタバタではあったが、出発することとした。
時刻は、99/07/02の18時少し前だった。
今回の目的には、私の割と近くに公用が有ったNOBUさんを迎撃する事も含まれて居り、この時間に出立と相成った次第である。
牧之原SAにて、NOBUさんと合流、時刻は18:30・・・

聞けば、通常電車営業が多いが今回は交通至便で無いため(自家用)車使用を申請したとの事であった。確かに、御前崎の端では、交通至便では「無い」。
早速、休みどころでただの茶をすすりながら(笑)話し込む・・・

途中、とにぃ氏の携帯乱入(笑)有り、聞けば運転中の由、呉々も安全運転にてと強調してしまった。

さて、メシでも?となったが二人ともさほど空腹ではなく、また雨も降り出してきたため、続きを富士川SAで、ということになった。
牧之原を出るや否や、・・・なかなかの降り。移動のペースも上がらない。しかし、フォーメーションを組む事がこれほど緊張するものとは・・・
普段よりも一層アクセルワークに気を付け、結果足に妙に神経を配ってしまう私であった。

・・・富士川SA着、20時を少し回ったか?
SAでメシを食う事など、ちょっと記憶に無い事ではあったが、偶然?二人とも「味噌カツセット」を頼む(って、食券方式だったけど)
聞けばNOBUさん、二輪から四輪への移行組との事で、一日に赤キップを二回切られた話など、互いの武勇伝?披露から、趣味の話まで盛り上がった(趣味の共通点を発見した。
次は海老名SAまで、と言うことで、今度はNOBUさんをリーダーに隊列変更した・・・NOBUさんのペース、早い早い。二輪経験者の見切りとかそういった走行のセンスってあるのだろうか、まぁ私も車間は詰めたがる(笑)方なので、法定速度「遵守」(?)で雨を切り裂いていった。

・・・海老名SA着、23時にはなっていなかった。
予想通り、足柄停車では「休み過ぎ」となったであろう(それほど疲れてなかったし)
またもひとくさり話に花が咲く。。。
が、徐々に忍び寄る疲労、・・・さぁ、都心へ向かうぞ。

江戸橋JC→箱崎JC辺りは「お約束」だったけど、それ以外は特にストレスを感じることもなく、京葉道路の鬼高PAに着いた(いつもこんな調子なら・・・>首都高)
NOBUさんは、それでも?直帰しない予定ではあったが、急遽??変更され、幕張で流れ解散と言う事になった。今回の道中楽しませて頂いた旨、そして、再会を祈念して互いに車中の人となった。
幕張のランプで最後並走し、互いに手を挙げハザードを点く、そんな一瞬が心熱くさせた・・・

・・・しっかしぃ、館山自動車道って、「暗いし、単調」だった(ついでに、車も少なく寂しい)
途中の、そして唯一の市原PAがさしずめ「オアシス」を思わせる。このあと、長狭街道をあと少しで走破、という時、耐え切れずに「爆睡」。
目覚めて、一度会場を確認し、引き返して鴨川のローソンで再び仮眠する。
雨は酷い、こんな事で大丈夫なんだろうか・・・

<そして、貴重な体験をした一日の始まり>
少し早目に行って、受け付けに確認すると、走行会なる予約は無い由、マジ焦る・・・
携帯が通じない、「参ったな」
しかたなく最寄りのデイリーストアまで行って電話すれば「今朝方6時ごろ出ましたから」と言われ、まぁよかった、戻るべぇと思ったその視界に3台のジムニーが飛び込んで来たのであった。
その3台が件のメンバーとは露知らず、すれ違いでコンビニを後にした。再び会場すぐ傍で待つと、先程の3台がやってきた。飲み込みが悪い(笑)私も流石に思考回路が作動し、近づく・・・
でも、使用料って高いのね(\5.250/台也)・・・ま、しゃあないって。
その時、妙に受け付けの兄ちゃんが気張っていた事には気がつかなかった。

取り敢えず、開けた所に車を止める。
既に、単車を持ち込んだ別の面々が2ストの軽快なサウンドを振りまいていた。
ん、最新ジムニーのおっさん(笑)が名刺を出す素振り・・・あぁ、この人が、社長かぁ(爆)
で、「早速喉湿し」と称しテーブル/イスをひろげくつろぐ、社長 (ご相伴に与ったのは言うまでもない)
「何、イスも持ってきてない?ダメだなぁ、基本だよ、基本」
と笑いながら言われて、
「凄くきさくな人だなぁ」と思った。
面子だって、決して多くない(4台5名が5台7名にはなったが、それが全て)し、APIOの名を冠しているとはいえ、この程度の盛り上がりじゃあ、と思ったが・・・
「いや違う、この人、ホントに好きなんだ」と考え直した。
でなきゃ、わざわざこんな所まで出張って来ることないんだ。そして、社長のファンになりました(笑)←思考回路は極く単純・・・

「あんた、どういう関係?」と尋ねられた。浜松ナンバーって事で、スズキ関係者かと思ったそうだ。で、「EOS」という倶楽部に属している、とごく簡単に説明させてもらった。
「そのクルマで出るの?」と言われ、(笑われながらも)あっさりと辞退した。
一目見て、とうてい我が哀車(笑)では歯が立たないと思ったから(正しい選択であった)

「で、どうすんの?乗る?」と社長に促され、全く図々しくも便乗させてもらうことにした。

<柄にもなく、熱い思いになった>
社長のドライビングは大胆、かつ的確であった(←なんて陳腐な)
伊達に数々のレースに「自ら」ハンドルを握ってない。
クルマも、随分乗用車的にソフィスティケーテッドされた最新型とはいえ、赤いロールバーが既にタダモノではないことを主張していた。
「うわ、うわ、うわ・・・(笑)」と思っても、さのみダメージもなく走り続ける。
これなら、・・・ジムニーに転ぶか(笑)←許してね(意味不明)

他の車も「溶けた」走りを展開していた。
「相模さん」は、自車にかなりの自信を持っているらしい(と、社長談)
まずは、「行ってみる」で、「行ってから考える」
その走りは遺憾なく発揮され、いきなりの斜面登りで左回転の横転をかましそうになった。
「おいおい・・・」と皆でレスキューする>とはいっても、最低限のアドバイスと車体保持(笑)
・・・そしてその場は、登る事は諦め、下る事となった。

「高山さん」は、逆輸入車の「有無を言わせない」ハイリフト改造車(笑)
なんせ、タイヤとフェンダーのクリアランスが「頭を突っ込んでいられるほど」車高が高い(更笑)
だが、悲劇は突然に訪れたのであった。
「キラージェイ」という思わせぶりなセクションでの事。ここは、幅がそこそこ狭い登りだが、なんせ轍が深く腹をこすりながら登るのは必至、てな感じ になっている。で、果敢にアタック、途端に「バキバキバキ・・・」等と嫌な音がした。
見れば、・・・車高上げるためのブロックがふっ飛び、プロペラシャフトがポッキリと折れ飛んでいた。
取り敢えずこの場を脱出しなければならない。出発点に戻るにも、最高で3台で牽引する羽目になった。
そして、いきなり野戦整備が展開されたのであった。

クラッシュの洗礼は社長をも襲った。
豪雨で沢状態になったあるコースを下り始めた時(本来は登るものらしいが)、先頭の「相模さん」が水たまりにはまった(床上浸水する位の深さ)
これを救出中に社長のフロントドライブシャフトが、「折れた」。衝撃荷重の凄さか・・・
車での牽引は諦め、ワイヤーレバー等で脱出出来たが、これには八王子さんの充実装備に助けられた(予備のワイヤ、スリング、シャックル等満載)
あと、ちょっとした土木作業とかも有った(片側が壁の水たまりをかすめるのに端を少し埋めるとか)

で、何が「熱い思い」かと言うと、ロープやワイヤを持って動いたり、スコップをふるったり、まぁそんな程度の事ではあるが、自分なりにまめまめしくしたつもりだったこと。
別に「お客様」気分でいたって済むのに、いや、何もしなければ顰蹙か、という思いもあっただろうが、何よりも「皆のためになれれば」と思っていたのだろう(←今にして思えば)
・・・とにかく、何の打算も無く動いていられるのはホント久しぶりだった。「仲間意識」の素晴らしい一面だと思う。

こうして(苦笑)、一日が過ぎていったのでした。。。

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車両は実物ですが、以下同文

<エピローグ>
・・・駄文を書きちらすのはホント疲れます(自爆)
全くの尻切れトンボですが、もうええでしょう(苦笑)
帰路は金谷からフェリーに乗って、横横~横浜町田IC~浜松西ICでした。
その日初めて会った同士が、これほどコミュニケーション図れるものとは、臭いですが、人の素晴らしさを改めて感じました。

編集部注

99年当時、SIDEKICKさんが書きとめていたものをほぼそのまま掲載しました(顔文字は当ブログの主義に反するのでカット)

何も仲良く・・・

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くたーーー・・・

くたーーー・・・

二匹一緒にお腹こわさなくても(涙)

食欲が無いんだけど、ケージから出してやると転がりながら走り回るので、心配しなくても大丈夫かなぁ。でも子猫の下痢は怖いからね。
たび助が使ってたバスケットに二匹放り込んで、念の為病院へ。
(だから名前を決定させたという話もあるのよ)

でん助は、診察台で先生が聴診器を当てた途端にゴロゴロ言い出して、腸の音が聞こえなくなったという。ビビりも暴れもせずに診てもらうイイコです。
いち之助は、ちょっと逃げようとして動物看護士のおねいさんに捕まえられました。

その後、薬が効いて下痢が治まったからか、少しずつ食欲が戻ってきたので一安心。

96年 松本

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白線流しロケ撮影の中に偶然紛れ込んできた、極めてカタログ仕様通りのエスクードノマド。右折していくそのあとから、主役(の一人)の七倉園子が交差点を横断していくほんの一瞬の出来事です。96年にフジテレビで放送された「白線流し」の第3話。この話題は前のブログのときにも取り上げ、TA01Wさんと駅前のうどん屋話で盛り上がりました。その記事で何を書いていたかはすっかり忘れてます。

ドラマの劇中使用車ではなく、何気に映り込んでいたレアケースですが、この時代だとまだメーリングリストで構築されたエスクードオーナーズクラブの「EOS」も存在しなかったころで、ひょっとすると調布のモンスターにオーナーズクラブ「EOC」が出来ていたかもしれない、黎明期以前のこと。だから誰彼となく「ノマド映ってた」「見たみた」などという対話も成立しません。

当然、どんなユーザーさんがこのノマドに乗っていたのかを知るすべもなく、それでもなんだか妙に親近感を覚え、同時に羨ましいねえと思っていました。

薗子役の坂井美紀さんは、この前年の映画「Love Letter」に出演(主演の中山美穂さんの少女時代役)していて、注目度があったところへ「白線流し」に出てきたのでどうなるかなと見ていったのですが、このドラマ自体が2005年まで特番枠で続くにもかかわらず、最後は悲恋で幕を引くというびっくりな展開の中、段々ケンが強い女優になっちゃったのも残念。そのうちほぼ見ないジャンルの火曜サスペンスや土曜ワイド専門になったので遠ざかってしまいましたけど、2011年に仮面ライダーOOOにて暴れん坊将軍と戦うラスボスになって再会するとは思いもよりませんでしたよ。

命名。

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よろしくね♪

よろしくね♪

一週間過ぎて、いつまでも名無しじゃぁね。という事で
クロチビちゃん「でん助」
クロシロちゃん「いち之助」
に、決定しました。
クロチビちゃんはよく見ると薄っすら縞模様があるので、でんすけすいかを連想したらもう「でん助」しか思い浮かばなくなっちゃった(笑)
果物つがなりでクロシロちゃんを「夕張」(スイカに対してのメロン)にしようとしたら、新月サンに「万が一脱走とかした時に、外で呼ぶのが恥ずかしいからヤダ」と拒否されまして。
でんすけ→釣りバカ日誌の浜崎伝助→相方ならスーさん→スーさんの本名、鈴木一之助→いち之助
という回りくどい連想ゲームで「いち之助」に落ち着きました。

105年目の峠

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震災以降、というよりあの冬に雪崩災害などがあって、長いこと立丸峠には近づいていませんでした。この国道バイパスなどは、5年前の夏に林道に出かけてきたときにはまだ工事中で、前方の山は切られていなかったように思います。うちのカーナビゲーションで仙台から宮古をルート指定させると、花巻から遠野経由でこれを通り、川井へ出て宮古に入れと指示してくるほどの最短距離コースです。

立丸峠2015しかし酷道とまで言わぬまでも、ここから先の後衛山を横断する立丸峠の宮古側は、舗装化されているからこそ対向車には出会いたくない急峻で狭隘なコーナーの連続区間が残っています。だから災害復旧が終わっても、好んではいかないルートで、峠を越えにやって来たのは実に四半世紀ぶりにもなっていました。リンク先の写真は宮古側、今回の写真の反対側です。この遠野側も以前はここまで幅員が無かった。今を去ること32年前、宮古からここを抜けてきたときは全線がダート。熊とも遭遇しました。

立丸峠2015a今、この峠は約3キロちょっとの2本のトンネルと道路改良で快適に越えられるようにする工事が進んでいました。昔からある看板も、昔は「早期実現を」だったものが、いよいよ開通予告をするまでになっています。峠前後の山麓はバイパス化が行われていたわけですが、実に30年越しの実現なのかと思うと、あのダートを知っている自分でも感無量な気分です。遠野物語編纂からは、105年めの夏。2本のトンネルのうち1本目が貫通していました。もう1本も秋には着手するそうです。

4号ってそっちだったのかよ

4号ってそっちだったのかよ はコメントを受け付けていません

変身dビデオとやらではとっくに完結しちゃっている話なのでまたもや今さら感たっぷりですが、9日にソフトが出て初めて観たんだから今頃書くしかないのです。

仮面ライダー555(ファィズ)は、5ばっかり並んでいるようでも、実はクウガ以降4人目のライダーなのです。

クウガって20世紀の番組だし平成と絞ってもクウガ以前に4人もいるため、クウガの基準値は未だに違和感を覚えますが、とりあえず555はテレビ番組ベースの平成ライダー4号(それでもRXを無視せねばならない)に相当するのです。

この「仮面ライダー4号」には、まあショッカー謹製変な4号が小生意気にも登場してきますが、実際には4番目の男、乾 巧の物語のようです。555の世界観は、リアルタイムで見ていた人でないと解らない、というより感情移入するために2003年の一年間がどうしても必要な主人公。宿縁を背負った者同士の再会と決着が、今回の物語に用意されていた仕掛けでした。

オルフェノク乾と対峙する海堂直也は、あの当時の子供たちには理解しにくかったかもしれないけれど、12年経った今だったら、たぶん解るんだろうなあ。ちくしょー、変な4号なんか要らなかったじゃねーかよこの番組。こういう脚本書けるんだったら、それこそ怪人も戦闘員も要らない、存在だけちらつかせるショッカーで充分。つまり配信チャンネルなんてけちらないで良い、地上波9時台のドラマが成立したと思いますよ。

 

海堂役の唐橋充の、飄々とした人を食った芝居を久しぶりに見せられて、やっぱりオルフェノクって哀しいなあと実感。