Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

気候が不安定でも・・・

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植物は元気だー。

ピッカピカの新芽。

ピッカピカの新芽。

なんだか分らないうちに、私の背丈を越えちゃった柑橘類の木。去年ばっさりと枝はらいしたら、あっちこっちから新芽が出てきましたヨ。
油断してるとアゲハチョウに卵産みつけられちゃうんだなー・・・

店長! ご対面です

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対面4月21日の雪天のとき、福島県の川俣町で「店長」と邂逅したことを家族に話すと、やっぱり食いついてきまして「会いに行こう!」の展開となりました。

今回は、こちらの羅須軽小僧も連れて行き、ご対面の図を再現。

「こんなちっちゃいのもいるんだ!」

などなど、店員さんから受けておりました。

なにげなヒエラルキー

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盛岡

 

 

  盛岡にて

 

田沢湖

 

 

 田沢湖にて

 

酒田

 

 

 酒田にて

 

 

 

大間

 

 

 大間にて

 

仙台

 

 

 仙台にて

 

相馬

 

 

 相馬にて

 

 

連休後半の3日間を使ってひと巡りした東北6県の風景(変な順序で回ってます)ですが、指示したわけでもないのに、こいつらの立ち位置って決められているようです。ところが、飯食っているときと、車に乗車する際は、なぜか座席位置が逆になります。

 

初いちご♥

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新月サンがせっせと肥料くれて植えかえしてくれたので、スクスクと育ってます。

なにげに一杯とれた♪

なにげに一杯とれた♪

茗荷とともに、毎日「まだかなーまだかなー」と楽しみに見てますヨ。味はね・・・ちょっとすっぱかったです。

一攫千金

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烏賊様NHKの番組で見たことのある、下北のローカルイベント場。このネーミングはなんとも秀逸であります。が、残念ながら夏にならないと開場されないので、レースシーンを見物することはできませんでした。

 

三年目の獲得

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福田パン普通、盛岡に行ったら冷麺だとかじゃじゃ麺だとかわんこ蕎麦を所望するものなのでしょうけど、我が家の場合、ノリと雰囲気で福田パンに行ってしまうのです。しかし転勤からこっち、何度通っても、ハンバーグをサンドしたコッペパンだけが売切れで手に入れられませんでした。

そこで今度こそはと、傾向と対策を練り、午前中に売れてしまうなら朝一で行けばいいのだと、早朝の盛岡着を試みました。そうすれば、開店前に石割桜も城址公園の桜も、人出のないうちに見物できます。

桜見物の後、開店10分前に店舗前に行ってみると、駐車場には山形から来たらしいカップルが一組。我が家は二番手で、その直後に八戸だ仙台だ地元だと次々とお客さんが乗り入れてきて、あっという間の行列に。なるほどこれだもの、休日の昼ごろだとパン自体が品切れになってしまうわけです。

恐るべし盛岡のソウルフード。でもハンバーグをオーダーする人は無く、今回はもくろみ通りに買い求めることに成功(そんな大それたことかよ)。さっそく朝飯ですよとかじりつくと・・・どうということのない極めて無難な味で拍子抜けてしまうのでした。

ただ、ここには買い手のひと工夫が必要のようで、3本購入したハンバーグパンの1本がその日手つかずで残ってしまい、翌朝の大間行きの途上で食することになったのですが、一晩寝かせてやると、うまみというか味わいが随分と変わります。この時期だから常温放置しておいても問題なしです。夏場はそうもいかないと思いますが、どうにかして傷まないようにするのは可能でしょう。

転勤3年目、福田パンに通い始めてからだと5年以上。ようやく目的を果たせました。調理パン系はこれにてコンプリート。次はどの系列を攻めようか。

29年前のニーズ 中編

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会誌スーパースージー「車体寸法、足回り構造、エンジンの排気量と総重量など、すべて私が提案しました。ジムニーを拡大してオンロードも快適に走らせるとなれば、自然とTA01Wのスタイルになる。デザインは担当リーダーの仕事で、当時はエンジン、ボディ、デザインなど分担された項目をそれぞれ1人の責任者が一貫して任されていた。だからクルマがまとまっていくのも早かった」

エスクードの父。と呼ばれる二階堂裕さんの談。それが1984年当時に議論されていた、新型小型4輪駆動車の基本設定でした。この時期、ジムニーはSJ30が登場していましたが、意外にも短いモデル末期にあります。

SJ30といえば「タフ&ニート」という振れ込みによって、ジムニーに多様性をもたらしたモデルの始まりとも言える(のかもしれない)でしょうか。わずかな期間しか所有したことがないので評論できる知識も記憶もないのですが、これを譲ってくれた四駆の師匠が乗っていた、それ以前のジムニーに比べると、外観においてはアクの強さはかなり和らぎ、逆に、だからこそ2代目ジムニーのスタイルが長く踏襲されていくきっかけを作っていたと思います。

確実に女性ユーザー層を視野に入れている。変遷を見ても、マイナーチェンジの内容はジムニー枠の中での上質化を図っています。そして多様化の反面バリエーションの整理も行われますが、屋根付き、幌屋根という車体構成はきちんと維持され、後に軽自動車排気量の拡大によるJAシリーズへ移行するルートと、小型車としての1000や1300への派生も行われます。

これをそのまま放置しておくと、ジムニーは80年代末期に、ひょっとすると小型車枠で大きく進化していたかもしれません。事実、JA51に載っていたG13A型エンジンは、1600ccに格上げとなりました。テンロクジムニーという路線が、実は敷かれようとしていたとも考えられるけれど、そうはならなかった。

「ジムニーユーザーが次に乗りたくなる車」

二階堂さんのその提案が、すべてを決定していくわけですが、なぜ1500ではなく1600だったのか。ここは今でも興味のある部分です。

「開発着手時点で、ロングボディの構想もあったし、ピックアップも考えられていた。ピックアップトラックは現実的じゃないねと抹消されたけれど、ロングはノマドとして追加実現したでしょう?」

この車体バリエーションにおいて、理想的なパワー・トルクはテンロクという結論がなされたそうです。ただしG16Aに関しては、失敗するかもしれないという懸念があったとのことで、もしだめだったらG13Aをエスクードに載せる話も進んだ。実際に北米では、1300のエスクードがリリースされています。

G16Aは、1型だけが8バルブでシングルポイント点火式の構造。どっかんターボのJA71から乗り換えたときには、中低速トルクの太さで乗りやすい半面、テンロクってこんなに上が伸びないのかなあ。やっぱりそこがクロカン四駆の端くれってことか。と勝手に納得していました。

これが2型においてカムはシングルのまま16バルブ化され、点火はとりあえずマルチポイントっぽくなり、程度問題ながら高回転が使えるようになりました。トルクもそこそこに出ていたことから、ノマドの登場を見ることとなります。しかし2型を搭載したハードトップやコンバーチブルは、クロカン四駆とはちょっと異なる世界をも与えたように思います。

ところが、それをジムニーとして考えると、まずそんなのはジムニーじゃないだろう、という考えが浮かぶのです。今なおSJ30をこよなく愛する(たぶん)二階堂さんにとっても、さらなる乗用車化を、ジムニーではやりたくなかったというのが、なんとなく根っこのような気がしてなりません。

そうこうしながら新型の小型4輪駆動車は誕生するわけで、ありそうで無かった「1600ccクラスのコンパクトでありながらメーカーフラッグシップ」が世に出てきます。出来栄えは、当時の品質ですから推して知るべきですが、ひとつの完成形としてスタイルを定着させていたジムニーから一歩先を踏み出そうとしたデザインは達成しました。

意外にもOB

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OB7月のイベントで、宿泊先として部屋を確保していただいた秋田県田沢湖町のホテルタザワさんを訪問し、支配人の阿部さんと打ち合わせをしてきました。

さすがはホテルマン。初対面であるにもかかわらず、こちらの少ない予算とアバウトな参加者状況にも動ずることなく、親切にリーズナブルなプラン設定で、予定通りの部屋数を押さえてくれまして、多少参加者が増えても心配しなくて済みます。乳幼児は料金がかからないことや、3歳児から未就学年齢も、宿泊費ではなく入館料のみ(親御さんの添い寝にはなります)で食事つきとなります。周辺で大きな観光行事がない週末というのにも救われました。

一通り予約の話が済んだところで、支配人。

「東京や東海から車でお越しになるというのは、何かのクラブイベントですか?」

電話で相談をしたときにも、この打ち合わせでも、具体的な秋田宿泊の理由については話していませんでした。時間に余裕があったので、買い出しトライアルの内容やら、エスクードを介していろいろやっている話やらを初めて説明したのです。

すると意外や意外。

「そんな人たちがいらっしゃるんですか! 実は私、V6ノマドのゴールドウインに乗っていたことがあります」

などとおっしゃるではありませんか。

「スズキはオートバイから入ったんです。ジムニーにも乗りましたが、これは違うとずっと感じていて、エスクードにしたらツボにはまったのです。V6はあのメカニカルなエンジンの塊が大好きで、油圧のアジャスターが壊れなかったら長く乗り続けていたと思います。V6のショートボディが手に入るなら、ぜひともまた乗ってみたいです。なんでって、あの車には独特のエンスーな世界観があるじゃないですか」

ななな・・・なんですとーっ?

15分の打ち合わせの後、小一時間のエスクード談義。これは想定していなかった。

下北半島の端と端

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まぐろだけ丼話が前後していますが、迷走弾丸(実際には迷走してませんけど)の目的は、季節ではないにせよ大間に行ったらマグロ丼だと。今回は尻屋崎を後回しにして一気に北上したので、仙台からの距離も415キロ。恐山に関しては霰が何かにびびってキャンセルとなり、迷わず走れば6時間でたどり着くのが本州最北端でした。

午前10時でどの店も満席。さすがの連休ですが海峡荘を覗いたら運よく席を立つ人がいたので滑り込み、朝昼兼用のマグロだけ丼。大間産のマグロが食えるのは9月以降ですが、近海物でも美味いものはうまい。駐車場の隣の車は広島ナンバーでした。この距離を走って当たり前のマグロだったら、そりゃ泣けてきますよ。

リブフォーエバー大間を後に尻屋崎の寒立馬を見物してから、沿岸伝いに三沢に戻ります。三沢を下北半島の付け根と言っていいのかどうかは別問題として、この日のもうひとつのうまいもの。市内の喫茶店でお茶を飲もうという話になり、いやしかし誰が市内のどこにそういう店があるのか知っているのか?という問題を同時に抱え込み、さらには車を置いておける店があるのか?などと更なる難題を・・・すべてナビゲーションの行き当たりばったり検索で攻略するのでした。

知らないことをいいことに、見つけ出したお店に入ってみたら、ラストオーダー10分前の、閉店1時間前という不良なお客になっておりました。

まさか17時30分閉店などとは、想像しようもありません。そのくせ全員異なるトーストメニューをオーダーし、飲み物もばらばらのものを選ぶという不良っぷり。それでもさらっと出てきたカプチーノはなかなかの風味なばかりか、会計したら1人あたりワンコインで済んでいたという、頭の上がらなくなるリーズナブルさです。

うまいものとは、注文していなかったのに、スコーンを振る舞っていただいたことで、

「形が悪くてお店には出せなかったものですが、よかったらどうぞ」

とのオーナーさんのご好意でした。えっ、どこのカタチがどう悪いのだ? と、多少は歪んでいるかなというスコーンに、付け合せのクリームチーズとジャムを載せて食ってみたら、充分うまいじゃないですか。一同、今夜は三沢に足を向けないようにして寝ることにしようと決定し、青森県を後にするのでした。

迷走弾丸

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安代ジャンクション津軽か下北か。

意外とここで迷ったり迷わなかったり。

案外「あまちゃん」効果で弾道が大きくそれるということもあるかもしれません。が、今回はそうはならず、せっかくここまで来て折れていられるかよと、八戸方面で下北半島を目指します。なぜかというと、仙台を出るときに計算したところ、残り330キロくらいで44万キロに到達しそうだったから、先の読みやすい八戸道から三沢経由を選択するわけです。仙台・三沢の距離が320キロなのです。

440000kmでもって、おいらせ町のモビルスーツ群を見物した後、三沢市に入ってからちょっと農道へ寄り道したところで、未踏の域の更新。

前日が青森と福島を除く4県めぐりで、基地から作戦室まで940キロほど走っていました。この日はここまでで330キロ、ここから大間と尻屋﨑を廻って三沢に戻り、仙台まで650キロほど走ってきました。最終日はさらに基地と作戦室を往復するので、まあ距離計は止まらない状態です。

しかしこんなの、仕事での移動だったらやってらんない気分になりますよねえ。