Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

割と地味め

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千切れてしまうまでは使おうと思っていた、この車を買ったときについていた泥除けは、なぜか二代目エスクード用の赤い板でした。あれはあれで幅広タイプで丈も長く、泥除けとして機能していましたが、樹脂の劣化でぼろぼろになってしまいました。お気づきの方は既にいらしたと思いますが、フロント側は昨年夏前に完全破断され、これまたなぜか三代目用のものに交換されています。

今回、下回りに再びアンダーコートを施すにあたって、リア側ももう役目を果たしきっただろうと撤去し、初代用を取り付けましたが、もともとバンパーの小ぶりな1600用であることや、取り付けのビス穴位置の違いのためか、思ったより小さい仕上がりになりました。

赤い色でESCUDOのロゴ入り泥除けは、純正部品では初代には無かったと記憶しているので(あやふやだけどね)、二代目って意外と派手目のコーディネートができたんだねえとあらためて感じます。うちで使っていた初代の2000用では、幅広の丈長ものは濃紺、ロゴもSマークとSUZUKIだったのです。泥除けにしゃれっ気出させても始まらないのですが、こうしてみると後姿はけっこう地味になりました。

寒いにゃ・・・

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本気で寒いらしいです。

にゃんでこんニャに寒いのにゃ(怒)

二匹でひとつの座布団に潜るだなんて、年に一度あるかないかってくらいの椿事でございますよ(笑)

14歳(ふう)と13歳(ちい)になるんだねぇ、君たち。今年はなるべく病院に行かなくて済むといいね、ふう。多分無理だけど(笑)

Team WESTWIN Warriors#032

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ストーブリーグでも賑やかで熱いTeam WESTWIN。先ごろ、川添選手が後藤選手のエスクードに乗り込み、テストランを行ったそうです。

その感想は、島監督にとってもちょっと意外なものだったらしいです。

「なんですか! この曲らない車はっ」

パワー・トルクで圧倒的に数値を上回るエスクードですから、日ごろパジェロミニで戦っている川添君がエスクードを走らせた場合

「これなら勝てて当たり前だ」

と言われるのではないかと、後藤君は内心どきどきしていたのですが、なかなかに乗りこなすのが難しいというコメントが飛び出したのです。

「面白い結果になりましたよ。どちらにも同じことを同じように教えてきたのです。その知識とテクニックで、それぞれの車の最高の戦力をひねり出しているわけですが、川添くんにとっては、後藤くんのエスクードはとても乗りにくいという」

島監督と、なぜそうなるのかの対話をしてみて、なるほどなと思わされることがいくつかありました。それは伏せておかなくてはならないので、チームの現況はここまで。今回、挿絵に掲げているE-376エスクードの在りし日の姿。なぜこれを持ち出したかというと、このマシンは島監督が現役時代最後のレースとして、2006年12月の耐久レースを走らせ、人車ともに現役を退いていました。しかし、その後、この耐久レースXCダートのリザルトとギャラリーを見ていくと、2009年のステージにおいて、ゼッケン15番をつけたよそのチームで走っている姿が確認できます。残念ながら2010年の消息は不明ですが、一時期、狼駄さんの鹿児島帰省に合わせてうちで預かり、数日間自ら乗ったことのあるコンバチエスクが、後にWESTWINで戦い、今まだ現役でいるらしいことに驚くばかりです。

そのテスト走行シーンも出てきました。

「その話は私も知っていまして、あいつが走っているなら私もか? と思わされるんですよ。それについては、気長な楽しみとしておいてください」

島監督は何かを考えているようです。WESTWINの今年の展開に期待しますか。

今年はTOUR。

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行ってきました〝中島みゆきTOUR2010〟

みーさま素敵~♪

2009・2008は夜会だったので、3年ぶりのコンサートです。

あいかわらずお綺麗で。とてもアラ還とは思えませんわ(笑)時刻表やら夜曲やら、30年近く前の曲も歌って下さいました。懐かしい(&恥ずかしい)記憶が甦る甦る(苦笑)新月サンは初めて耳にしたみたいで(ほとんど洋楽しか聴かないもんねぇ)周りの反応で『ん、こりゃ昔の曲だな?』と思ったらしいです。

来年は(ん?今年か??)夜会あるのかなー?

いざ初陣

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カツ丼はあくまでゲン担ぎの参考資料ですが、本日いよいよ、霰の高校入試私立編が火蓋を切ります。2日連荘で2校を受け、1日置いてもう1校。わが娘ながらようやるわ。初戦はなんとも僕とれいんさんの通った学校で、我々の頃はともかく今だと「受かったらそこで充分だろう」という進学校になっているらしい(いやしかし、さすがにそのスーパー特進コースは狙っていませんが)

本丸は3月の攻略であり、今回は「腕っ節を試して来い」程度のことしか告げてありません。ここまで来ちゃったらじたばたしても始まらないです。

それにしても、英語検定二級と、漢字検定準二級を取っておきながら「小論文が書けない」とか「面接でしゃべれない」とかぬかして、推薦枠をぶん投げている霰。度胸があるのか無いのかさっぱりわかりません。

関を越える

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松尾芭蕉がおくのほそ道を歩いたのは1689年のこと。深川からみちのくを目指し、主だったところで日光、那須、松島、平泉、堺田、山寺、湯殿山、象潟までを北上して、そこから北陸路を経て大垣に至る約150日、2400キロに及ぶ旅でした。

心もとなき日数重ねるままに、白河の関にかかりて、旅心定まりぬ。

みちのくに入り立つ白河の関あたりまでは、芭蕉自身もこの旅の行方が不安であったとみられます。白河に至ってようやく気持ちが落ち着いて、まずは須賀川の地を目指していきます。

季節は初夏の少し前。江戸を発って6日目には黒羽に到着していながら、そこで2週間も滞在していた背景には、心許なさの前に彼の門人の世話が手厚かったからなのでしょう。

東北側の奥のほそ道ルートは、物心のついた頃に親に連れられてキャンプ行脚をしたことがあるようですが、僕自身の記憶には残っていません。その後何度か、同じルートのトレースをやっていますが、僕の旅ではまだ、福井から大垣へのトレースが残っています。しかしこれまで訪ねて見た芭蕉の足跡は、たぶん観光としてしか見てこなかったのだろうと思い始めています。今回、自ら白河の関をはるかに越えて暮らすことになって、そういうことなのかと、何度目かの芭蕉に対する解釈の更新が行われています。

さてさて、いつまで心許ない気分に苛まれるのやら(笑)。とりあえずいっぺん帰宅はします。

赤いので三倍速い・・・のは気のせい?

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長年機種更新してきたメビウスノートも、みちのく仕様の投入からライフブックに切り替えることになりました。筐体は赤です。赤いから今までの三倍は速いし快適・・・なのですが、これはオリジナルモデルで、CPUなどは本来のものより1ランク下のものが組まれているようです。物入りのため高いものは買えないし細かいことはどのみちわからないので、まあいいです。

最初に手にしたメビウスノートはスペックなんか忘れてしまいましたが、「ノートパソコンのHDDがいよいよ1G時代になった」と言われたモデル。オープン価格対応でもなくて、小売価格80万円と書かれてました(値引き30万だったけど、まるで車かバイクの買い物だよ)

それから15年、メモリが4G、HDDが640Gって、なんだか狐につままれたような気分です。だって、データ通信カードの同時契約で、ちょっと交渉したら、メビウス一号機を買ったときの10分の一の値段になった。これであと5年か10年したら、ノートパソコンのスペックってどうなってるんでしょう?

しかし、SIDEKICKさんに言われていきなりがっくりです。

「そりゃすごい進化です。さしずめZからグレートになったような」

ええっ!? 初代ウルトラマンとウルトラマンガイアくらいは違うと思っていたのに、その程度しか違わないのか?(比較対照はHDD40G時代のメビウス四号機ですが)。それはともかく、これで本部と前線基地とのやり取りができるようになります。あとはデータを持っていくための外付けHDDをひとつ調達してきたら、これがまた厚めの新書版サイズで2TB・・・ やれやれです。

SUZUKIっずの頃

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5年ほど前のイベントの様子・・・ではなく、うちの車たち(れいんさんのFB15サニーを除く)。ほんの一時期、爺ノマドとぷらすBLUEが同居していた期間があります。この頃、JB23Wも納車したばかりで、SUZUKIっずの様相を一家だけでやっているというしょーもないシーンです。これを遡ること18年くらい前がこんなんでしたから、当時から既に懲りない一族だったようです。

逆輸入の共演

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ちょっと仕様の怪しいテンロクハードトップと、グランツーリスモで勇名を馳せる以前のバージョンで組まれた、パイクスピークヒルクライムで知られるモンスターエスクード。奇しくも同一スケールで作られていることから、並べて見比べることができます。ツインエンジンという事実上別物のマシンながら、この時代のモンスターは、オリジナルに極めて近い意匠の再現をやってくれていました。

ハードトップのエスクードは、エスクードというよりはビターラとして作られたミニカー。イタリアのブラーゴ社からリリースされているもので、こう言ってはなんですけど、イタリアらしい大雑把な金型から起こされています。

ありえないサンルーフ位置や気恥ずかしいマーキングながら、国際規格のスケールミニカーとしては、初代エスクはこれ唯一のもので、古いエスクード乗りならほぼ誰もが1台くらいは購入した代物です。

パイクスピーク仕様のエスクードは、フランスのプロバンス・ムラージュ社が作ったレジン製ガレージキットで、通常は無塗装・パーツ状態のキットを組み立て、ベース色に塗装し、附属のデカールを貼って完成させるものです。このバージョンは、ツインエンジンのカルタスを経てアンリミテッドクラス用に開発され、1994年から登場したツインエンジンエスクードの二番機(この言い方は便宜上のもの)。95年に投入され、初めてクラス優勝と総合優勝を遂げたマシンを再現しています。

今回、コムロさんが完成状態のキットを手に入れたもので、両車を並べて撮影させていただきました。エスクードは二代目のミニカーを飛ばして、三代目がドイツのリーツェ社から、やはりグランドビターラとしてリリースされていますが、つまりどれを持ってきてもミニカーに関しては逆輸入(厳密には輸入玩具です)エスクードという図式になってしまいます。まあまったく存在しないよりはましなんですが、国内のミニカーメーカーからは、この先も出てくる可能性が無いのも事実で、そこがまたマイナーのつらいところです。

気がつけば20年選手

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風花さんの「のまちゃん」、はまたにさんの「コンバーチブル」が、仲間たちのエスクードの中では数少ない新車登録時(1992年)からずっと乗り続けられているワンオーナー車で、さらにきわめて古い個体に属します。

とにぃさんの「番長」やうちの「ぷらすBLUE」はそれより年式が古いけれど、この2台はワンオーナーものではないのです。前述の2台には、それだけの骨董的価値があるといえます。

「来年は、のまちゃんとうちのを並べて成人式をやりたいですねえ」

と、金曜日の昼飯時に、久しぶりにはまたにさんと飯を食いながら雑談しているときに、彼がにこにこしながらそんなことを言っていました。それを聞いて、僕はエスクードに乗り始めて23年めになるけれど、1台の固体をそんなに長く乗っていないなあと感嘆したのです。我が家で最も長く運用されたエスクードは、実は最も地味な存在だったかもしれない「爺ノマド」で、これは13年。先代の「らすかる」で10年でした。うむむ・・・意外と大事にしていなかったのかもしれない。

そうこう考えているうちに、ぷらすBLUEはまだ手元に来て5年めながら、年式の上ではことしが20年ものにあたることを再認識しました。所有記録には結びつかないながらも、とうとうそんなに昔の車に乗っている身になってしまったのです。番長なんか更に1年古いのだから、すごいことだと感じます。

ぷらすBLUEに関して言えば、本体価格よりも新調した幌のほうが高かったという逸話がありますが、それももう減価償却したというか、元を取って余りあるくらい得をしている気分(実質得している)です。こいつは月へ連れて行くというより、何年ものと呼べるかの存在意義をもっているようです。