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  ~懲りない傾向~

海岸ランナー 後編

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nh02国道2号線はろくに広島湾の景色を眺める間もなしに山間部へ分け入る。山陽道は意外なほど山裾に沿って伸びており、海沿いに走れるのは厳島を望む廿日から和木あたりにかけて。それは逆方向だ。だが広島県内にはもう1か所、ほんのわずかに海岸線を進めるところがある。もっともそんなことを考えなくても、ちょっと山道を登れば瀬戸内の海原は手に取るように眺望できるのだけど、今日は海沿いを走りたい。この車で森の中へ分け入るのは、まだイマジネーションだけにしておこう。

運よく退勤時間帯の東広島をスムーズに抜けて、三原市に入る。時々、信号待ちのゴーストップを余儀なくされるけれど、イージーに操作すれば2速からでも楽に発進できる5速ミッションには慣れるのも早かった。四隅に張り出したブリスターフェンダーはどこか欧州車っぽいよなと感じさせ、四駆と言えばジープ、アメリカンスタイルといった既成概念を打ち消してくれる。なによりルームミラーに映る景色が夕暮れ近くだというのに明るい。だけど背中に何もないということは後続車からは丸見えの室内。信号待ちだからと言って振り返ったりするのも気恥ずかしいかもだ。

何しろ僕は仕事帰りのまま、スーツ姿で四駆を運転している。クラッチを切る革靴の爪先はちょっとばかり動かしづらいし、指先が痛い。ステアリングを握る両腕の袖先から見え隠れするカフスボタンは、絶対にミスマッチだ。だけど、こんなスタイルがこれから、案外普通になっていくのかもしれないぞ?

1時間ちょっとのドライブで、目的地の福山まで30キロに迫ってくる。糸碕神社の看板と、不思議な形の洋館がトラックマークのように現れ、2号線は緩やかなうねりを伴い坂を上り、そして緩やかなうねりとともに下っていく。

この瞬間を待っていた。

今まで広島、福山の約100キロの道のりは、GSX‐R400やCBR250で行き来するか、親父に借りたギャランシグマで走っていた。セダンに乗っていても、フルフェイスのヘルメット越しにも、三原市のはずれから尾道の町に向かっていくわずか10キロ程度の区間は、小佐木島や佐木島、岩子島、向島を見渡す瀬戸内の水路が右手に広がる。延々と山間部を走り続けてくると、丘を越えながら現れる海岸線の景色は、いつだってときめくのだ。

草の香りよりも排気ガスのすすけたにおいがついて回った道のりが、不意に磯の香りを拾っていく。バイクで走っているとき、風は大気の壁になっていて、そこに切り込んでいくようにスロットルを開けていた。今日、初めて、その景色を目にしたところでアクセルを緩めた。

あ、これが大人の愉快というやつか。

僕がパジェロやロッキーのカタログとエスクードを見比べ、これだなと感じたインスピレーションは、そのときのカタログに掲載されていたオパールブルーメタリックの水色が、この瞬間に見える海と空の、空の雰囲気に似ていたからかもしれない。奇しくも対極を行くような赤い車体になってしまったけれど、これはこれでかっこいいぞと、つい顔がほころんでいくのがわかる。

nh03とはいえ、松永湾に至る海岸線の道は混雑していてもあっという間に駆け抜けてしまい、2号線は再び内陸へ針路を変えるし、水色の空も大分前から暮れなずんでいる。

「あいつ、どんな顔をするだろう」

片道100キロを遠距離恋愛と呼ぶかどうかは微妙なところだけれど、僕は先を急ぐ。慌てず、焦らず。

 

この項、完結。

1992年当時、「彼」がどんなルートで福山へ走ったかは想像であることと、直帰退勤という展開はまったくのフィクションです。

 

2 Responses

当時は四駆でスーツとか、四駆で式場とかちょっとありえないと言われていた時代。
やはりエスクードは時代を切り開いた車だと言いたいのだけど、嫁さんは僕のエスクードで客先周りするのは恥ずかしいし、大きくなった3代目で住宅地を走るのは苦痛らしいです。

  • 四駆でスーツ(だけではないけれど)は、別視点では丘サーファーなどと言われてある種馬鹿にされていたものですが、僕なんか平成元年からずーっとそんな格好で仕事してるんだから、しかも最初に乗ったのがヘリーハンセンなんだから、前歴にジムニーがなかったらほんとに丘サーファーになるところでした。
    大きさの問題はあるかもしれないけれど、うちの家内は天候が悪いときや雪の日は嬉々として幌車で仕事に出かけるよ。