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  ~懲りない傾向~

体育の日なので

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  好きです、こういうの。

蔵王越え

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青森から福島まで、東北地方の著名な山々が一気に初冠雪した中で、蔵王だけニュースでも天気予報でも名乗りが上がらなかった。宮城側の山麓からは、朝方は白っぽい山頂だったという声もあったようですが、冠雪とはみなされなかったようです。

まあそんなに急がないでよ、紅葉見物にだってここ数年行けていないんだからと、上山市に出かける仕事のために蔵王越え(仕事です。仕事ですからね)

岩手県の八幡平辺りでは、アスピーテラインが雪で通行止めになったという話も聞くわりには、宮城県の蔵王エコーラインはまだまだ南なので、紅葉散策にはちょっと早かったようです。連休初日が雨予報だから、そのあと冷え込んで見ごろになっていくはず。

気が早かった分観光客も少ない平日ですから、混雑もせずにピークへたどり着きます。ただし仕事中ですし御釜散策はせずに山形県へ(ほんとだからな)

それでも途中のパーキングゾーンに車を停めて、道路脇の法面を見上げれば、そこそこの色づきは始まっています。気温は11℃。風が無いので肌寒さも感じずゆったりと・・・いや時間通りに上山へ降りていくことができましたよ。米沢方面から伸びてくる新しい高速道路のインターチェンジがだいぶ形になっておりました。

帰路も同じルートと思ったんだけど、現地を出るのが夜になっちゃったので断念。

荘内の文化

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山形県鶴岡市には1971年から文化会館があって、特に音楽の文芸活動が盛んだそうで、夏前に建て替えられた地銀本店のビル内にすら大ホールが完備されているほどです。その市立文化会館が改築され、市民公募で「タクト鶴岡」と名付けられていたかと思ったらいつのまにかネーミングライツで地銀名もくっついて完成して、藩政時代の建築やら維新から大正にかけての建物もまだまだ健在の、ちょっとイイ感じのする鶴岡の街にはかなり見慣れない施設が姿を現しました。

なんかこうへんてこな・・・などと言ったらぶっとばされるので言いませんが(言ってるし)、これを意匠面で設計したのは、僕と同郷の妹島和世さん。ハイアット財団から建築家に対して授与されるプリツカー賞を2010年に受けた建築家で、最近だとすみだ北斎美術館なんてのを手掛けていますが、鶴岡のこのホールが彼女が独立して30年めの作品となります。へんてこな・・・などとは決して言ってはならない、鶴岡でこれ?とつい思ってしまった複雑豪快な屋根のごちゃごちゃは、遠望する山並みと重ならないような配慮や降雪時の雪の重さに対する備えやら、いろいろな意味が込められているのですが、いずれ街並みにとけ込んでいくのでしょう。

その山並みの一つに数えられる月山の麓に黒川というところがあり、そこの鎮守である春日神社の神事能が、ホールの完成を記念して奉納公演されました。演目は「淡路」。朝廷の臣下が淡路島を訪れ、そこで邂逅した老人と男に水田に立てている幣帛の理由を聞き、国土創世の神話に触れる。その夜臣下のもとに伊邪那岐が現れるという筋立て。黒川能もまたこの地の伝統文化として、猿楽能でありながら独自のスタイルを受け継いでいるとのことで、庄内と上方の繋がりの古さを感じさせます。

鶴岡の成り立ちは17世紀ごろからですが、黒川能の原型は13世紀の伝来という年代差があるようですから。そうした伝統文化の節目が、21世紀の今にあたり、荘銀タクト鶴岡は最も新しい文化の発信拠点となっていくのです。完成前の市民向け内覧会には、ただ1日に鶴岡市の総人口のうち7%近くの来場者があったという話を伺い、地域の関心の高さを感じました。

 

 

店長を訪問

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夏仕様になってお元気でいらっしゃいます。

店長とのつき合いももう5回めの夏だなあ。

過去記事を見ると写真の頃と比べて毛並みが良くなっているので、時々温泉にでも行けるようになったようです。

経緯度交会点

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自分にとっては見知らぬ街とは言い難くなっている秋田県大潟村の「八郎潟」は、子供のころはまだ「日本で二番目の湖」という教わり方をしていました。その後の干拓事業が進み、今や地図上のスケールと自分の距離感が狂うほど広大な耕作地帯。そこに偶然にも、日本で唯一10度単位で経度と緯度がクロスする交会点が存在します。かつては水面でしかなかったこのポイントは、いまでは北緯40度線に沿って、あぜ道が一直線に走っています。

と、思い込んでいたら、必ずしも一直線じゃなかったわ。

でもまあ、このあぜ道に限らず基点から終点までが平気で一万mとか五千mとかで区切られているのがこのあたり。カーナビゲーションの表示スケールを千mまで広げないと、潟の全体像が見えません。すると今度は、すぐ隣の路傍にピン打ちされている交会点まで、ナビのガイドがためらいもなく「目的地まであと10キロ」とか言いやがります。

今、日本で二番目の湖に格上げされた霞ケ浦も以前はぐるりと巡る湖畔の堤防上がダートでしたが、もうこれほど長いストレートの砂利道(しかも終点で曲がった先もずっとダート)は無くなってしまったかもしれません。舗装道路に戻ってもストレートの先が見渡せない、故に速度を上げて走るのがあほらしくなるという、なかなか素敵なところなのです。そして本州内は緯度であと一度分、北へ走ることができます。東北が大陸っぽく感じられる瞬間です。

だんごや

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仙台市内ではおなじみの、正真正銘団子や大福や豆餅を食えるお店ですが、カレーライスもかつ丼も中華そばも食えるというのが面白いところ。さらにカレーライスはアルマイト製の皿に盛りつけられて出てきます。これでスプーンが先割れだったらどうしようと思う。

地元の人々は「だんごや」と呼びならわしていますが、「藤や」というのが正しい名前。でも地元の人々は誰も想像すらしないだろうけれど、このへんてこな献立やお店の佇まいは「仮面ライダー響鬼」に出てくる魔化魍退治組織の東北支部っぽいです。

博多 芦別 その狭間

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写真は2003年の7月19日に、芦別の駅近くで何気なく撮っていた祭りの風景。時期が時期だけにどこの地方のどんな街でもたいてい、祇園祭が行われている頃だったので、たぶんそういうものだろうとしか思わず埋もらせていくだけでした。

先日、基地で録画しておいた衛星放送の新日本風土記で博多の祇園山笠が再放送で紹介され、これを見ていて「おやっ?」というエピソードを知りました。

芦別のこの祭りも実は祇園山笠で、これが始まったきっかけは芦別在住のある人がNHKスペシャルで放送された博多ののぼせもんを観て惚れ込み、博多に通いつめて仲間に入れてもらい、祭りそのものを芦別に持ち帰るに至ったというお話でした。

84年にその放送を見て、博多ののぼせもん衆に正式に認められたのが94年のことだそうです。僕が録画した番組は2014年の初回放送だったらしいので、この方はもう30年以上博多にも通い続けているようです。

あの年、倶知安の友人宅から夕張、トマム経由で富良野へ迷走し、芦別を通って旭川から札幌へ戻る途中のたった2カットの写真が、よもや福岡と北海道を結びつけるエピソードを抱いたシーンだとは思いもよらないことでした。

今年も博多の山笠は15日までに、芦別の山笠も17日にお開きとなったようです。季節より早く伝統と気概が駆け抜けていったということですねえ。

酷暑日の報

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流れてますよ、ラジオのニュースで。

先日の長者原SAなんか、こんなもんですよ。

・・・真夏日の報なんか書いたから罰が当たったね。

来航今昔

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1853年7月14日、将軍宛の親書を携えたマシュー・ペリーが久里浜に上陸しました。事実上の幕末の始まりです。四隻の艦隊は数日前の7月8日に既に浦賀沖で投錨しています。その際、目的地の指標となったのが、その頃から200年ちょっと前に幕府によって設置された浦賀燈明堂の灯であったことは皮肉と言えば皮肉な話です。燈明堂は家康の江戸入り以降水運の要衝に位置付けられた浦賀水道周辺の水先案内を担う灯台でした。よもやその灯が黒船をも呼び寄せることになろうとは、200年とちょっと、考えもしなかったでしょう。

皮肉は重なり、ペリー来航の翌年、安政東海地震によってこの堂は津波に呑まれて崩壊してしまいます。要衝ですから復旧は行われ幕末を迎え、1869年に観音崎灯台が完成するまで、灯明堂の役目は続きました。その後老朽化で失われたものの、1989年に復元されたものが今の構造物です。2017年、浦賀水道あたりはペリーの時代に比べたらとつてもなくでかい船舶がとんでもない過密状態で往来しているし、ヒアリなんて厄介なものを上陸させちゃったりの騒々しさが続いています。

真夏日の報

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聴いていますよラジオの天気情報で。

でも信号待ちの釜石なんてこんなだよ。

カメラを出しているときは18℃だったのよ。