Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

そこまでは知らんかったよ

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「エスクードのドアミラーはベルトラインの前端、ドアガラスを格納しても邪魔にならない部分を1段落とし、できるだけ低い位置に取り付けました。
 これは基本がオフロードカーであることから、左右の下方視界を確保するための工夫でした。また合わせてこれをデザインの要素として、ボンネットフードとの連続間を持たせることで特徴づけました」

 

エスクード誕生30周年企画webにて、初代エスクードのデザインを担当した片岡祐司・現名古屋芸術大学教授が寄稿してくださった「エスクード誕生物語」の一節です。

このドア側の切り欠きは確かにエスクードの特徴の一つで、フラットなラインに比べれば、多少は視界の確保も可能です。が、このデザインを他社がうかつに真似をすると、後々面倒なことになるのだそうです。

このデザインと設計には、特許がとられているのです。実際に数年後、「やってまった」メーカーが出てしまい、スズキとしては思わぬところから特許使用料で利益を得るという出来事があったそうな。

そういえばデザインとはジャンルが異なりますが、「クルーガー」という商標も、スズキは「エスクード」との関連性を持つネーミングとして商標登録していたため、これを使いたかった他社に売却した逸話もありました。この関連性はしかしエスクードがどこでどう通貨単位から金貨に転ずるのかよくよく考えると無理やりだし、クルーガー金貨というのがあるにせよ、クルーガーとは「賢い」という語意なので、ほんとに使う気あったのかなあとも思ってしまうのですが。

30周年

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 ESCLEV サイトに記念企画ページを公開しました。

10年前ほどの体力もないし、周囲の熱も冷めています。技術的にもいまどきこんななの? な仕様ですが、まあこんなもんです。今月の連休が無かったら作れませんでした。いやその、一度ぶん投げようかと思ったので。

さてエスクードも三十路になりました。明日午後から日曜日の本戦で、今度は雑誌用の取材イベントです。誰に頼まれたわけでもないのでこんなことを言うのは愚かなんですが、これで荷を降ろせるなあ。

尚、この機にESCLEV旧サイトは閉鎖いたしました。古いリンクをお使いの方は、上記の現サイトにブックマークをお願いします。

 

今どき使う人がいるかどうかわかんないけどバナーはこちら

 

これも使う人いるのかよ? な気もするけど三十周年企画専用バナー作りました

 

やっぱり周年なんですか

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5年前にも「果報は寝て待てっすよ?」な出来事がありましたが、これがちょうど25周年の年回り。そしてことしは30年というめぐりあわせで今度は18分の1スケールダイキャストモデルと来たもんです。

静岡ホビーショーを紹介するホビーショップ・タムタムさんの記事(下の方)

 

DORLOPというと、イタリアのペスカーラにある新しいブランドのホビーメーカーだったっけかな。またもやですが、結局海外の企画の方が理解が深いよ・・・

などとため息をついている場合ではないので、直に尋ねてきましたよ。中国製製品で、日本では9月頃のリリースだということで、わたしゃその場で予約してきましたよ。

しかしホビーショーの記事をよーく見て行ったら、エスクードが展示されていた場所の上の棚にもなんか大変なものを見ちゃったような気がする・・・

革新の扉

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今回の片岡教授寄稿で知りえたもう一つのトピックに、チャック・ジョーダンとマルチェロ・ガンディーニの名前がありました。前者は80年代のGMにおいて手腕を振るった有名な副社長。初代エスクードに関する評価を高くとりあげ、北米市場へのGMブランド展開を後押しする立役者であったそうです。

後者については、ちょっと驚きました。ガンディーニといったらベルトーネのエグゼクティブなデザイナー。今さらここに作品列挙する必要もない有名人です。

実はハンス・ムートがデザインした初代レジントップのキャノピーの前に、これをガンディーニが手掛けていたのだそうです。それで思い出すのが、89年の東京モーターショーに展示された「エスクドーム」のキャノピー。あれは市販デザインとは異なっていました。知らぬ間にガンディーニの作品を目の当たりにしていたようです。

ということは、この時期から突如リリースされていったエスクード専用のキャリアシステムやグリルガードなどの「オートエキスポデザイン」も、ガンディーニがやっていたってことになります。

いやー・・・それってなんかすごいというか、エスクードごときがストラトスとかカウンタックとか(あ、列挙したよ)と細ぉい線でつながりましたよ。

どうすっかなー、キャリアシステムは譲ってしまったけれど、ガード類はまだ持ってるんだよなー・・・

 

変革の刃

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歴代エスクードのDNAだとか、二代目を無視してうそぶかれているエンジンフード横のエアアウトレット。三、四代目のガーニッシュのような装飾は、もともとはアウトレットとしてのスリット造形でした。しかし初代に乗った経験のある方なら、エスクードのエンジンルームは熱抜きが苦手で室内にも熱が伝導しやすいということをご存じでしょう。特にテンロクたちはエアコンがなかなか効かなかった。

それをわざわざエアアウトレットなどとなぜ言うのかと、ずっと思っていたのですが、30年めにして真実にたどり着きました。

近日公開予定のエスクード誕生30周年企画webに、この初代エスクードやカプチーノ、スイフトなどのデザインを手がけた、現名古屋芸術大学の片岡祐司教授に、デザインワークスとしてのエスクード開発について寄稿をお願いしまして、webにおいては4ページにわたる既出の話から「それは知りませんでした」なエピソードを執筆いただくことができました。

そこに、このスリットにまつわる逸話と、これに連なるドアミラー部分のトリビアが綴られていました。ひょっとしたら「そんなこと、初代のエンジンフードの構造を見ればわかるでしょ?」という人もいるとは思いますが、僕は初めてその話を知ることができたのです。なるほど二代目がやめちゃうわけだし、三代目以降は技術的に革新の扉でも開いたのかなと思わされました。

webは・・・うーんもったいつけるほど手の込んだ内容ではないんですが、現在あちこち手直しを進めているところなので25日までお待ちください。とりあえず片岡さんの「エスクード誕生物語」は読み応えありです。

報われぬ魂

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エスクード誕生30周年企画のweb制作をぽつぽつと進めてきて、9割方これが出来上がったのですが、20周年のときに多くのユーザーさんに協力していただいた歴代エスクード全モデルのユーザー批評だけはもう一度やり直すにはめんどくさくてもったいなくて、そのまま引き継ぎ四代目を加える形でやりました。企画ページはそこを外すとなんだかんだで約30ページになりました。まあ素材的にはもう35年めはないなってくらい、ストックの底もつきましたよ。

さて、やりきったぜーとデータをサーバーに送ってみたのですが、ソフトがホームページビルダーのためIE準拠で制作してきたことが仇となっていて(まあそれはずーっと前からそうなんですが)、ファイヤーフォックスだと構成が崩れるし、iPhoneでも同様。このあたりの微調整技術が足りずに座礁した気分に転落です。聞けば狼駄さんが最近、自身のサイト更新をやらなくなったのも同じ理由らしく、彼なんかタグ打ちでやって来た人だから挫折感半端ないようです。

で、しばし腕組みして考えた末、両者の結論は以下のような感じ。

「俺、もうスマホ対応のみで今までのは黒歴史に!」

 

「俺、今後もPC対応でしかやらねーっ」

 

志が低いな、おいら・・・

 

グレムリンがいる!

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フロントストラットの付け根修理が済み、意気揚々と走り出した良いものの、連休明けから仙台は次第に天気が下り坂となり、雨が数日降りました。

あちこち出かけているので車体も汚れてきますがフロントグラスは走りながらでもウォッシャー液とワイパーで洗浄できるのだよ。と、コラムレバーを手前に引いたけれどウインドウォッシャーが出ない・・・

ありゃ? 修理に出したとき既にタンクが空になっていたのか?

東北道を移動中だし、カー用品店に撥水液を買に行くより先に給水せねばというわけで、パーキングエリアのコンビニエンスストアで水を購入してエンジンフードを開けたら、ウォッシャータンクにはいつも使っているのとは異なる青い洗浄液が並々と入っていました。

あー、タンクを外して溶接修理の後、ちゃんと補給して組み付けてくれたんだ。しかしモーターは動作しているのになぜ出ない? ホースをたどってみると、まったく通水していません。

ウォッシャータンクは数か所で車体側にボルト止めされているので、これは組み付けのときにホースの一部をタンクの底にでも挟んで閉塞させたのかもと思い、タンクを外してスイッチを入れてみたけれどモーターが空回り。

ぬぬぬぬ・・・あと考えられるのってノズルの目詰まりだけれど、そもそもノズルまで水が行っていないのだからそれとは別の部分を点検しないといけないはず。しかし思いつかない。

なんだろうなーと焦りながら、なにげにリアウインドー用のウォッシャースイッチを押したら、フロントグラスいっぱいに水が噴き出るではありませんか。

あ゛・・・

ってなわけで、再度車外に出て外したタンクのコネクターを左右入れ替えて差し直してみると、元通り。いやはや、これは手引書見ないで組んだらこうなることもあるよなー。板金屋さんのところにいるであろう「計算を間違える小人さん」か「グレムリン」のことを連絡すべきかどうかですが、こっちに連れてきちゃったうえにいなくなつちゃったので、そこはもはやどうにもなりません。

 

 

後期型だけどもっとひどかったよ

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一か月間の休眠を経てBLUEらすかるが復帰しています。フロントストラットのアッパー側取り付け部周辺に発生していたクラックを塞ぎ、板金してもらうという作業でしたが、ことは言うほど容易いものではなく、足回りの分解撤去やエンジンを降ろすなどの工程を伴いました。

さらにクラックを塞ぐだけの作業にとどまらず、ストラットタワーバーやスタビライザーの受け側などにも錆と腐食があり、それらを除去したり腐食で無くなってしまった部位を作り直したりの外科手術だったそうです。

主治医にも板金の職人さんにも苦労をおかけしました。この間、霙が追突されて借りていた車がおしゃかになるわ、その事後処理で手間をかけさせてしまうわ、修理明けと同時にもう一台が車検で入庫するわ、いろいろ世話をかけっぱなしです。

フロント側の心許なさが解決できただけに、リアのショックがブッシュの問題で減衰力を変えてもガタゴトいうのがいよいよ気になってきました。ランチョを新調するか、銘柄の違っているままのタイヤ2本を新調するかが思案のしどころ。

もう一人のランナー

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昨日の赤いコンバーチブル退役については、いつかはその日が来るだろうと、ひとごとならぬ思いがあったのですが、避けられないものは避けられません。

そんなときに追い打ちをかけるように、Maroさんからの連絡があり、彼が32万キロまで走らせてきたTD51Wのエンジン、冷却系故障の度合いが予想以上に大きく、やはり退役となることをうかがいました。

話が遡りますが、うちの先代のとるねーどらすかるが2005年に全損し、1カ月弱のブランクを経て、BLUEらすかるが二番機として走り出した頃、当時のブログやwebをカナダで見てくれていたのが彼。その後帰国して自らエスクードに乗り始めたのです。
彼がらすかる交代劇の何に感銘し、海の向こうで友人知人にそのことを語り継ぎ、帰国の途に就いたかは、当時僕が知る由もありませんでしたが、ある日フジ・オートの渡辺代表が教えてくれました。

  「あなたのエスクードを意識して、うちで扱っていたТD51Wをお求め下さったお客さんがいますよ」

そして実際に、彼から連絡をいただき、交流が始まったのが、ちょうど10年前のことでした。カナダではご両親が、ТD62Wにあたるグランドビターラに乗っていたそうで、Maroさんご自身は帰国後に、93年式ТD01Wに乗り始め、2007年に現在のТD51Wに乗り換え、01Wはやはり帰国したご両親が乗り継いで、2011年にこの01Wが退役することになり、手に入れたのがТD61W。つまりBLUEらすかるの同型車となりました。

親子でエスクード乗り。なんて羨ましいと思いながらも5年ほど前にご両親ともお目にかかって、我が家よりもずっと早く二代にわたるエスクードライフのお話を聞くことができたのは幸運でしたし、なんともはや、僕みたいなへんてこなエスクード乗りが、これほど人様のクルマ選びを左右してしまったことに驚かずにいられません。

なんかもう、すいません。

でも、やっぱり残念でならない。身勝手なことを言えば、そんな気持ちです。本当に避けられない時代が来ているのだと痛感させられます。

海岸ランナー 完結 前編

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会社に入社した年、すでに昭和は終わり平成が始まっていた。

職場は東京と郷里を行き来し、そして再び東京の勤務になって、こちらに家を建て10年と少し過ぎる。僕自身は昭和の生まれだけれど、子供の頃は明治生まれのお年寄りたちに歴史そのものを感じさせられた。こと僕の郷里は戦争で手ひどい仕打ちを受けているだけに、その中を生き抜いてきた人々には皆歴史があると思っていた。

その僕が、まあ僕がそう決めたのではないけれど、平成の終わりを告げるニュースや記事見出しが飛び交う過渡期に、いま暮らしている。おいおい、遂に自分自身が、来年の今頃には三つめの元号を生きるのだぜ。

職場でいろいろと根回しと手回しが気ぜわしいのは、そういった時代の移り変わる過渡期だからなのかもしれない。ただ、そんな生活パターンにすっかり馴染んでしまって、さほどの違和感もない・・・

というのは自分に対する偽り。ずっと、このライフサイクルの中に生じている、凝りのような感情から目をそらしていた。

退勤途上の電車内で、スマートフォンに着信が入る。オークションに出品していた、タイヤが2セットとも落札された連絡だ。アルミホイールに組み付けたままのスタッドレスはほぼ新品、オールテレーンの方も・・・これは走る気はあったのだろうな。いずれ履き替えるつもりで買っていた未使用品だ。

 純正シートに戻し取り外したレカロのコンフォートも、タンクガードも瞬く間に落札者が決まった。まだこの手のパーツに引き合いがあることで驚くわけだが、使ってもらえる先があるならそれでいい。

残ったのは白地のキャンバストップだ。これについては思うところがありというより恐る恐る、手紙を出した。メールではない、封書で。受け取ってくれるならば今度の週末、宮城に伺いたいと書いた。すると即座に電話がかかってきて、こっちに来てくれるという。

だから恐ろしい・・・ああいや、ありがたい。受け止め方によってはうざったいと誤解を招くほど面倒見がよい彼は、車を丸ごと引き受けられずに申し訳ないとまで言ってくれた。

もちろん僕もそこまで寄りかかろうとは思っていない。ただ、この春をもって、長年乗り続けてきた車を処分するにあたって、彼には真っ先に伝えなければと決めていた。

それにしても、彼と連絡を取ったあとに出品したオークション品が、彼と会う以前にすべて売れてしまうという激流のような世の中だ。

それもこれも、インターネットの普及に対して移動体通信機器がこの10年で飛躍的な進化を遂げたことが要因だろう。腕時計型テレビ通信機という画期的な装備を持っていたウルトラ警備隊に憧れていた僕が、あのビデオシーバーよりも多機能高性能の端末を日常生活で使いこなす時代なのだ。

その反面、クルマに対する関心事は、世代が若くなるほど薄れていると言われている。ことクロカン四駆というジャンルは90年代前半に爆発的にブームとなり、そして市場は定着したものの、定着のために捨てるものも捨てSUVなどというよくわからないジャンルへ拡散し、今またクロスオーバーなんとかいうワケのわからない領域に飛び込んでいる。

 要はステーションワゴンの洒落たやつへの回帰なのだ。そこには荒れ地をものともしないクロスカントリー性能はコストの上でもじゃまになった。雪道と凍結路をある程度走れれば、四駆としての使命は十分果たす。

でも、だ。燃料代やら駐車場代やらも含めた維持費は、若い世代には重荷ではある。僕らだってそうだった。それでも四駆で野山に出かける楽しみがあればこそ、やりくりもできた。今はスマホがあれば部屋にいながらにして世界とつながり何でも見聞できる。

それが仮想現実でも虚構でも、電子化された情報は抵抗なく安価に手に入れられる。それこそ東京や横浜在住だったら、発達した公共交通機関でどこへなりと出かけられるから、次第にマイカーという言葉自体が脳内辞書から削除されていくのは無理もない。

まさかね、僕自身がそうなっていくとは思わなかったさ。

そんなことを逡巡しているうちにプレミアムと冠のついた金曜日は明けてしまい、約束の週末がやってきた。

僕はキャンバストップをたたんだ収納バッグを助手席に載せ、家内に見送られて路地裏から赤いコンバーチブルを走らせる。あと数日。休日の数を数えれば、もう何度もこいつを動かすことはないだろう。

 

 

 

※ 後編は「2018 海岸ランナー」として明日発売のスーパースージー106号に掲載します。